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“家”をめぐる連載小説 『もっと、ずっと、簡単なこと』        作/あきらK ・ 絵/Mai   


by yawaraka-st
 「NPO的」というのは、NPOの在り方にカズヒコさんが偽善を感じていたために、実際にはNPOを設立することはなかったからです。NPOを設立すれば社会的な評価を得る近道だったのでしょうが、事業として運営すれば結局のところは利益を出すことになるのだから、と友人が貸してくれたNPO設立を説くガイドブックを読みながらカズヒコさんはどうにも合点が行かないものを感じました。そうなるとまるっきり融通が利かないのもカズヒコさんの厄介な部分です。事業の内容はボランティアに近かったので、ほとんど利益を出すことはできなかったのですが、カズヒコさんはその事業の仕組みを(最初に考えたプログラムから)変えようとはしませんでした。

 それから五年。今だに赤字続きのこの事務局を運営するために、広告制作の仕事は続けていて、カズヒコさんがコピーを書き、クウちゃんがグラフィックデザインをしています。

 広告制作の仕事に没頭し、自分の心を真っ黒にしてクライアントの思いを美しい表現で自分の心に映し出すことに腐心していたカズヒコさんの心の鏡が、次第に自らの輝きを取り戻していった頃、彼はクラウドマンの原稿を会社の事務机の一番奥の引出しに仕舞い込みました。
 事務局の仕事が忙しくなっていたので童話の中に逃避する必要がなくなっていましたし、また新しい空想が湧き上がってきていたのでした。(その頃のカズヒコさんは、親しい建築家たちから「局長」という愛称で呼ばれるようになっていました)


 その空想は、ある日突然、カズヒコさんの頭の中に降りてきました。
「あの世のベストセラー」という題名がまず浮かびました。次に脳裏に浮かんだのは、東京へ出張した男が東京モノレール駅のプラットホームで倒れ、生死の境を彷徨いながら、先にあの世に行っていた友人の水先案内に従って「あの世のベストセラー」を紹介するという筋書きでした。
 カズヒコさんが目を瞑ると、頭の中にもうひとつの世界が映像となって現れます。

 東京モノレール駅のトラス構造をした灰色の天井がゆらりと揺れたように、僕は感じた。(主人公は僕という一人称です)
 モノレールが到着し、スチール製の安全柵が開くと、並んでいた列が動く。その動きにつられて一歩前に踏み出した僕の頭のなかに浮かんだのは、最近マリア(あの猫撫で声の若い女性がモデルになっています)に電話をかけたのはいつだったっけという場違いな問いだった。確か、昨夜はなんとか思いとどまったけれど、一昨々日の昼間にどうにも我慢できなくなって耳奥に靡くコールを六回し、それも、マリアが出た瞬間に携帯電話のオフスイッチに親指をかけたのだけれど、果たしてそれが確かな現実だったのどうかははっきりとしない。
 これが、四十六年生きてきた男の最後の自問だった。(つまりはこれもカズヒコさんの実人生とダブったストーリーとなっていました)
 蒲鉾のように波打った天井のトラス構造が、今度は確かにゆらゆらと揺れた。
 心臓でキンという音が小さく波打つと、驚いたように目を見開いた僕のまっすぐに伸びた体がプラットホームの冷たい床に向かって傾いていった。天井から視線が下りるその先、中空にぶら下がった白い文字板をした丸時計の向こうで、青空に飛び立つ天使の姿をレイアウトした電照看板が輝いて見えた。その直後、僕の眼前にホームの黄色い点字ブロックが急激に近づいてきた。右頬が床に叩き付けられたとき、しかし、なんの痛みもなく、なんの衝撃音も聞こえなかった。これが人生の最後というやつなのだと僕は悟った。異変に気づいた何人かの乗降客が駆けよってきた。けれど戸惑いながら近づいてくる光沢のある革靴や白いハイヒールなどの映像が僕の網膜に映し出されることはなかった。そこには、すでに暗闇しか映っていなかった。
 OFF。無信号。
 次に気づいたとき、僕は懐かしい風景のなかにいた。懐かしさは感じるのだが、それがどこなのかすぐには解らなかった。東京モノレール駅のプラットホームでしこたま頭を床に打ちつけたせいだと僕は思った。そこには、論理がつながっていた。頭を痛打したから記憶が途切れ、今もって意識が朦朧としているのだ、と。
 だがしばらくして辺りの様子がどうも現実離れしていることから、僕はようやくここがどこなのか見当がついた。
 衣服は倒れたときのままだ。履いていて楽なので近頃意識してそれを選択するようになったストレッチ素材のベージュのパンツに、白い長袖シャツを着ている。さっきまで左手に持っていたバッグと上着は見当たらなかった。
 それにしても、瞬時にしてこんな場所まで移動することができるのだろうか。そんなことが起るはずがない。不可解な思いを抱きながら僕がそこに見た風景は二十数年前のものだった。
 僕は、昭和五十五年に卒業したはずのK大学のキャンパスにいたのだ。



続く・・・・・

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# by yawaraka-st | 2008-06-30 00:07