“家”をめぐる連載小説 『もっと、ずっと、簡単なこと』        作/あきらK ・ 絵/Mai   


by yawaraka-st
                  ー1ー 

 厄介なことに人は二つの世界に住んでいる。
 ひとつは目の前で起っている現実の世界で、もうひとつは頭の中にある空想の世界だ、とカズヒコさんは悟りました。
 カズヒコさんがまだ十代の頃のことです。それ以来、彼は現実と空想の二つの世界で呼吸をすることにちょっとした文学青年的な生き甲斐を感じながら、それでも、ごく平凡な日常を過ごしてきました。
 カズヒコさんは自他ともに認める小市民なのです。

 現実の世界で仕事をして日々の糧を稼いでいるように、空想の世界でも本能の赴くままに頭を働かせ何かを産み出そうとするのがどうやら人の性(さが)で、その成果物としてカズヒコさんが童話を書いたのは十年前のことでした。題名は「クラウドマン」といって、すっかり中年になった元少年(まさしくカズヒコさんそのものです)と、その少年のことを天空の高見からずっと見守っている自由雲(クラウドマン)の物語でした。
 
 妻のイズミさんに運転をまかせ、高速道路を走っていたときにカズヒコさんが見上げた秋空に悠々と浮かんでいた人間の形をした雲にピンときて、そこに、子供の頃のように自由になりたいという思いをダブらせて書いた童話でした。(車の後部座席には二人の娘がミュージカル「アニー」のテーマソングを歌いながら座っていました)
 
 原稿を書き上げると、東京にある児童書専門の出版社に持ち込みましたが、「大人の目線で書かれていますね」と全く相手にされませんでした。いやいや、実によくある話です。
 
 だから仕方なくというわけではなく、誰かに読んでほしかったので、イズミさんと、その頃カズヒコさんが付き合っていた女性(彼のことを弁護するわけではありませんが、最初の結婚後、彼がイズミさん以外で付き合ったのは、後にも先にもこの女性ひとりきりでした。もちろん浮気はいけません。いけませんが、人生侭ならないことのひとつにこの浮気という現象があるのです)にこの話を書いた原稿を渡したら、返ってきた感想がそれぞれに的を射ていたので彼は密かに感心しました。
 
 イズミさんはこうこたえました。
「無理して書いてない? 童話とかあなたには似合わないと思う」
 そしてこう念を押しました。
「本当に、書きたいの? 童話なんて」
 
 これと比較して若い女性の言葉はカズヒコさんを勇気づけました。(若い女性の言葉に身勝手なまでに期待感あふれる余韻を覚えてしまうのは、中高年男性の一般的な傾向ですから、まあ仕方のないことです)
「すごいお話だったからびっくりしました。ファンタジーでしょ、このお話。私、ファンタジーが大好きなんです」
 芝居じみた女性のその台詞は、内容そのものも、間延びした全くといっていいほどリアリティの欠片もない口調も、良識と健全な判断力のある人々(オーディエンス)が聞けば背筋が薄ら寒くなるものでした。
 それから、そのことにさも特別な意味があるかのように、彼女はこう囁きました。
「ねえカズヒコさん、私がこの原稿を持っていてもいいんですか?」
 
 今思えばこの対照的な二つの答えにこそ、大きなヒントが隠されていたのに、その若い女性に夢中になっていたカズヒコさんは、そんな簡単なことにも気づきませんでした。客観性という鏡に映せば、悲しいくらい馬鹿げた話ですが、本当のことです。そして、こともあろうに、彼はこうこたえたのでした。
「もちろん、きみにこそ持っていてほしいんだ」
「もちろん...?」
 
 女性はその先のカズヒコさんの台詞を引き出すように語尾を吊り上げて訊きました。


f0167463_15352192.jpg


続く...

ブログランキングに参加中です。
気に入っていただけたら、下のバナーをクリックしてください。



           プロトハウスのホームページ
[PR]
# by yawaraka-st | 2008-08-06 21:31